006


「この度はお引き立てを頂き、誠に恐縮です。こちらは、セントローレンス基地所属――」

 だんだんと、映像と音声が透明さを増していくにつれて、ほころんでいたサザビーの表情から期待の色が薄れ、旧知のつまらないものを見せられるという予感を含んだ色に変わっていく。
「リリア・マリー少尉であります。」

 まだ時折歪む画面の中で、敬礼した姿を見せるその女性は、サザビーが声を震わせて呼んだ名前の女性ではなかった。

「リリア少尉、セラン・ユク中尉からの入電だという話ではなかったか。」
「は、セラン中尉は急遽この度使用するシャトルに関するブリーフィングに召集され、現在席を外しておりますので、僭越ではありますが、私がお話させていただいております。」

 リリアは、肩を落とすサザビーにではなく、その向こうに座るサンダースに向けて、いくつもの敬語を重ねる。
 それに気付いているサザビーは、その旧知の女性の聞きなれない敬語に、似合わないとぶつけてやりたい気持ちを抑えて、後ろのサンダースが何か言うのを待った。

「この度は是非にも君たちふたりを、とのサザビー中尉の推薦でな。聞けば少尉はサザビー中尉の士官学校の同期だというではないか。その実力、随分期待させてもらっている。こちらに到着し次第、辞令に基づいてこの艦のモビルスーツ部隊で奮ってもらいたい。セラン中尉にもそう伝えてくれ。」
「は。ありがとうございます。」

 サンダースの言葉に、お辞儀をする代わりにもう一度敬礼をして見せた。
 それを小さく動かした視線で確認したサンダースは、椅子の肘掛に頬杖をつきなおすとサザビーに続きを促し、自分はザナが寄越した資料にろくに目を通すこともなく、リリアの読み上げる補給品のリストと明日の作戦の手順と、時折言葉を挟むサザビーの声をただ聞いていた。

 いくらかして、リリアの声が途切れるのを見計らったかのように、サンダースが口を開いた。

「ところで、報告された航路を見る限りでは、心配はしていないが、L4で81独立機動群が動くそうだ。」
「第81独立機動群、ロアノーク大佐のファントムペインですか?」

 リリアはどこかで聞いたことがある言葉を自分の脳の中で検索し、ゆっくり探るように区切って問い掛けた。それに対してサンダースは、一度資料に軽く落とした目線をリリアにもどす。

「あぁ。近付かないのが身のためだ。ディスパッチャーにそのように伝え、航路計算を確認したほうがいいだろう。」
「それでは、明日は宜しくお願いいたします。それでは、失礼します。」

 そんなリリアの声を最後に通信は切られた。スクリーン状のモニターが天井に収納されていくと、ブリッジの窓があらわになり、その透明な隔たりの向こうには所々崩落した灰色の街を見渡すことができる。

「セラン中尉に会えるのは、明日か……。」

 一歩窓に近付いて、サザビーはそう呟いて肩を竦め、きちんと折り目がつけられたスラックスのポケットに手を入れた。




「はぁ、慣れないことすると肩凝る気がする。」
「そうですか?なかなかかっこよかったですよ。少尉。」
「そう?ありがと。」

 メルキセデクとの通信を終えたリリアは、肩の凝りをほぐすように腕を回すと、足元においていたブリーフケースを手に取り、通信室を後にした。

「これからシャトルポートですか?」

 親しげに話してくれる通信士に、肯定する返事を投げれば、お気をつけてと返され、ひらりと振った手を残して歩き出すことにした。







007


 通信室のあるビルを一歩出ると、広い湖の上を吹きぬけた水気を含んだ風が、リリアの短い髪をなで、その視線の先にあるシャトル打ち上げ施設へと流れていった。

 その風についていくようにして歩いていくと、目の前にまるで海岸に寝そべるトドやアザラシのような愚鈍な姿をさらして、腹を開いたシャトルが積み込み作業を行っている。

 そのシャトルはリリアが当初この話を受けたとき想像していたものより、ずっと大きなものだった。

 任務の内容は、モビルスーツの輸送と少々の補給が主なものであるから、必要以上の速度や装備は必要ないとはわかっているが、この旧世紀的なフォルムを目の前にしてしまうと、本当にこんなものがモビルスーツを10機近くも載せて宇宙へ上がれるものなのかと、不安に思う。

 しかしながら、無重力空間を想定した訓練は十分に受けてはいるものの、地球生まれ地球育ちでろくに宇宙空間にいたことのないリリアは、これから始まる宇宙での生活を楽しみにする気持ちも少なからずあった。

「リリア少尉、お疲れさまです。」

 追いつくようにかけてくる声に気付けば、リリアの乗るシャトルのパイロットだった。

「お疲れさま。先輩は?」
「セラン中尉ですか?先ほど一度戻られて、シャトルの積み込み作業を監督すると、また出て行かれました。」
「じゃあ、シャトルにいるのね。」
「たぶん。」

 近付いてみれば、トレーラーに載せられ、積み込まれていくモビルスーツを見上げては、怒号を飛ばすいくつかの声が聞こえてくる。その中にひとつ他より高い声を認識して、リリアはその名を呼んだ。

「セラン先輩、早かったんですねー。」

 金属同士がこすれる独特の臭いに吹かれるようにしてリリアを同じ白い軍服に身を包んだ女性、セランが振り返った。

「リリア、ごめんなさいね、急に代わってもらって。」
「いいですよ。でも、通信に出たのが私だったものだから、サザビーの奴、露骨に残念そうな顔してましたよ。
 よっぽどまだ先輩のこと好きなんですねー。」

 セランの隣に並び、積み込み作業の進行状況を眺めながら、サザビーの顔を思い出すようにしてリリアは笑う。セランはというと、そのさも共通の知人について話しているといったリリアの口調に、不思議そうな表情をしてその顔を覗いた。

「随分、親しいのね。その人と。」
「え?」

 その言葉に、リリアは目を丸める。

「サザビー中尉、ですよ?私と士官学校の同期の、サザビー・バーネット。」
「知らないわ。そんな人。」
「え……、いやだなー先輩、冗談うまいんだから!」

 リリアにばしんと音を立てて肩を叩かれても、小首を傾げたままのセランは本当にサザビーという男に心当たりがなかった。
 セランとリリア、そしてサザビーの3人は2年前から1年にわたって行われた、地球連合軍のモビルスーツパイロットの強化訓練に参加し、3人とも同じ部隊に配属され、1年間の訓練を耐え抜いた間柄なのだが、セランは一年間顔をあわせないうちにサザビーのことを、単純にすっかり忘れていたのだ。

 そのようすじゃあサザビーも報われませんね、と言って自分の荷物を積み込むべく歩いていくリリアは、それを大して気にしている様子でもないので、忘れたからといって別段大事ではないようだと判断したセランは、そんなことよりも、モビルスーツを載せて危なっかしく動くトレーラーの方が気になって、下手くそな若い運転手を叱りつけることに、次第にその思考を奪われていった。








008

 バチロウに連れられて業務用の大型エレベータに乗り、ぐっと上向きのGを身体に感じながら下っていくと、ディータの目に漆黒の闇が映った。

 自分たちの乗った箱が通る透明なチューブの向こう側では、この巨大な人工建造物の最下層であるドックの床面が開かれ、白くかさばる服で全身を覆った作業員たちが、ケーブルに繋がれ、空気のない中空を漂いながら、作業をしている。

 その明滅する星の光にすら距離を感じない漆黒は、生命の存在を拒絶、否定する、まさに闇であった。

 少なくとも、それを見つめるディータにはそう感じられた。

 程なくして、不快な震動を足元に寄越してエレベータは停止した。2、3回重苦しい気密扉をくぐるとそこは先程エレベータから見た区画とは異なり、完全に気密され空気が満たされているため、ディータたちはかさばる服を着重ねることもせずに、体重をあまり感じなくなった身体で床を蹴り、そのまま身体を流した。

「なんでこっちのドックなんだ?ミネルバは第一階層のドックなんだろう?」

 ディータは自分の乗る船が肩を竦めているかのようにおさまるドックに狭苦しい印象を受け、不満げにバチロウを見やった。

「艦のクラスも違うし、なによりミネルバは特別扱いだからな。ただ衛星軌道まで随伴して、そこから先は別作戦行動のオレたちとはドックもおんなじところは使わせちゃくれないのさ。」

 バチロウは、一度辺りを見回す仕草をして、こちらのドックの方が設備が悪いと言って苦い顔をしている。その目が見渡すその先には、所々溶接の火花を散らす十数機のモビルスーツと、その積み込みを待ちわびる艦が横たわっていた。

「あ、いたいた。おい、おっさん。ディータ連れてきたぜ。」
「おう、遅かったな。」

 片手を挙げたバチロウに呼ばれた作業着の男は、そこに置かれたモビルスーツ、ジンのバックパックバーニアに向けて伸びたリフトの上で、宙を流れてくる二人を見上げて同じように片手を挙げて答える。

「で、用事って?」
「まぁまずこれ見ろ。」

 ふたりにおっさんと呼ばれた整備士長のベリエス・タケシタはディータに携帯用端末機を放って寄越した。

「これ、ウィトゲンシュタインの?」

 目を通しながらディータは声だけでタケシタに質問を投げる。

「あぁ。モビルスーツと周辺品のリストだ。目通してサインしとけ。」







009



「はいよ。」

 目と、端末に付属されたペンタブレットを握る手だけを動かして、リストを確認するディータは、自分をその視界の端にちらりと捉えて口元を悪戯な笑みの形にするタケシタの気配を感じて、口を動かした。

「ところでさ、なんでオレのジン右腕ないの?」
「お前の、101番のジンな。右肩に用があるんだ。」
「何、不備?武装追加?」

 そのジンは、左肩に艦隊旗艦モビルスーツ部隊隊長機の番号である「101」が刻まれた、ディータの愛機であるが、今は右肩から先が取り外され、機体の横で作業員による薬剤を使っての拭浄と、再塗装作業が行われている。

「いや、お前も今度の作戦から部隊長だろ?」
「そうみたいだけど、それとジンの右肩と何の関係があるんだよ。」

 端末機でのリストのチェックを終えたディータは、タケシタに端末機を放り、そのままジンを見上げては、首をかしげる。
 タケシタは、気付くまで放っておくつもりようで、時々大声で周囲の整備士に指示を飛ばしていた。

 すべての事情を理解した上で、自分の作業の合間にディータの様子をうかがっていたバチロウは、いつまでも右に左にと首をかしげる背中に業を煮やして声をかけてきた。

「お前の出世祝ってやろうっていう整備係からの粋な計らいでよ、お前がずっと力説してたマーキングやってやろうって言ってんだよ。」
「バチ!口動かしてないで仕事しろ仕事!」

 意を介さないバチロウの声に、タケシタは声を荒げる。当のディータはふたりを振り返り、目を輝かせた。

「それって……?」
「パーソナルマーキングだよ。隊長さんならナンバリングじゃない右肩に個人のマーク入れるくらいやっても怒られやしねぇだろ。それに、アタマ張るならちょっとくらいどっか特別な方が箔が付くってもんだ。」
「おっさん……。」

 小さくウインクしてみせると、ディータは一度俯いて強く奥歯を噛み締めると、はじけるように満面の笑みを浮かべた。

「やった、ありがとう!ずっと憧れだったんだ!」

 作業中の端末機を持ったまま、身体をディータとタケシタの乗るリフトへと流してきたバチロウにディータは、以前酒の席でこぼしただけの憧れを覚えていてくれたのか、と喜色満面に言う。

「そりゃあ、あれだけ力説されりゃあ覚えもするよ。」

 そのときのことを思い出しているらしい、ふたりは肩を竦めて目線を交わす。

「で、何にする?オレがデザインしてやるよ。かっこよく狼とかペガサスとか、それとも流星にでもしてみるか?」

 バチロウは、手に持った端末機に世界中で使われる様々なマークを呼び出し、ディータに示しながら、自らの胸を自信ありげに叩いた。
 しかしディータはその画面に目をやることなく、言う。

「オレ、自分のマークは”ホーネット”にしようって決めてたんだ。」
「ホーネット……スズメバチか?」
「そう!カッコイイだろ。」
「なんでまた、もっとカッコイイモチーフなんていくらでもあるぜ?」
「わかってないな。」

 スピードもスタミナもあって、しかも強いだなんて憧れる、と言ってデザインをバチロウに任せ、ディータは自分の愛機をもう一度見上げた。
 その手は、この愛機を駆る自分の今後への期待を抱き、掴むように、力を込めて握られていた。







010


 ディータは、タケシタに確認するよう言われたジン各部のシステムリンクをチェックするべく、正面ハッチを開け放したコックピットに収まり、頭上のスイッチから順に切り替えて起動していく。目の前のモニターに光が入り、「Z.A.F.T.」の文字が浮かぶ。

 いつもながら、電気屋に並ぶ流行のコンピュータの起動画面みたいで、まるで軍隊が作ったものじゃないようだと思う。

 そんなことを考えながら、座席の横に納められたキーボードを身体の前に取り出し叩きはじめ、目線はめまぐるしく切り替わるモニターを追っていった。

 そもそも、機体と触れ合っている時間がすきな性分であるディータは、しだいに作業に夢中になり、だらしなく前をあけて着ていた赤い軍服がなんとなく邪魔に感じて、座席の後ろにぽいと脱ぎ捨てた。下に着たTシャツの襟首元を軽くつまんでパタパタと風を送る、こもっていた体温が作られたひんやりとした空気に入れ替わり、気持ちがよかった。

「そういやぁ、お前もう荷物移したのか?」

 ジンのモニターに映る外の世界の片隅、リフトのあたりを胡坐をかいて漂うバチロウの声が、開かれたハッチを通って聞こえてきた。

「あぁ。昨日当番だったときに移したよ。おまえは?」
「とっくに。どうせもう忙しくてゆったり宿舎でなんて寝てられねぇし。」

 バチロウのその言葉は、すぐそばに大きな体を横たえた艦の出航、つまりは自分が再び戦争の最中に身を置くときが近いということを、ありありと感じさせた。

「明日の今頃はもう出航だもんな。オレも今日はこっちで寝なきゃいけないかなー。」
「101の整備はまだ終わってねぇんだからな。武装の追加もあるんだから。」
「リストにあったビーム兵装ね。まだあくまで試験段階なんだろ?」
「実戦が慢性的に起こりそうな環境は、この部隊にしかないからだろ。モルモット代わりだな。」
「ただわがまま言ってりゃいいんだもんなー。いい気なもんだな。科学者ってのは。」

 ディータが、ため息とそう変わらない言葉を吐いた、そのときだった。

 元来耳を劈くようにと作られた音が、胸を殴りつけるように響き、その場にいた全ての人間の、驚いた両肩と心臓が反射的に跳ね上がった。

「なんだ!?」

 あまりの音におどろいたバチロウが空中に放り投げてしまった工具を引掻き集めながら声を上げた。

 その音が非常事態警報だと、そこにいるすべてのものがしっているが、その音の原因は誰一人わからず、みなおろおろとあたりを見回している。

 コックピットのハッチ上部に手をかけて身を乗り出し、周囲の様子を見ていたディータは、その警報がこのドックで押されたものでないとわかると、背後に漂う軍服を荒々しくつかみ、ドックの片隅にある内線の端末めがけて身を躍らせた。

「手を止めるんじゃねぇ!外はどうなってるかわからん、とりあえず急いで全部積み込め!作業中のモビルスーツもだ!作業は中で続ければいい。」

 壁へ向かっていくディータの体の下で、タケシタが声を荒げているのが聞こえている。

 流れる身体の先、手が壁に触れると、体勢を直すこともせずに勢いに任せて端末から受話器を引き剥がす。

「1013ドック、ウィトゲンシュタインのディータ・ウェバーだ。状況を報告しろ。この警報はなんだ。」

 受話器を耳に押し当て、とにかくアーモリーワンの中心的部署である司令部へ繋ぐと、騒音が増したドック内でそれだけ怒鳴った。

「第1階層6番ハンガーに、て、敵襲!該当ハンガーとは連絡取れません。」
「敵襲だと!6番ハンガーったら……。」
「新型機が奪取された可能性もあります。」

 6番ハンガーとは、兵器所有の数量制限の条項を含む議定書に応じたプラントが、ZAFTの戦力減退を危惧し、一機あたりの戦力の強化を図った最新機、カオス、ガイア、アビスの3機が格納された場所であった。ディータもそれがZAFTに敵意を持つ存在の手に渡るということの脅威を十分に理解している。

 受話器の向こうもこちら側と同じようにがちゃがちゃと人の声と機器の音が入り混じってうるさかった。その両耳に響き渡る許容量を超えた騒音の中、ちぃ、と無意識にディータの舌が音を打った。










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